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Dec 23, 2006

ノロウイルスの風評被害

この冬はノロウイルス(NV)が猛威を振るっています。私の家族や周辺にもこの冬に感染した人が4~5人,ノロと確定はしていないけれどもそれらしき症状という人はさらに数名います。私も牡蠣を食べてやられた経験があり,この苦しみは十分わかります。昔のウェブ日記をみると4年前の暮れのことでした。点滴うって,痛み止めもうちました。下痢はあまりなく,吐き気,熱,腹痛がひどかったです。その後さすがに牡蠣は怖くて食べられなくて控えていたのですが,今年はついにそのトラウマを克服し,何回か食べています。4年もたたないとつらさを忘れられないほどひどい症状ですので,未経験の方はくれぐれもご用心を・・・。

さて牡蠣の業者にしてみれば現状のNV大発生は死活問題です。出荷量や価格が低下しているのは風評被害だという報道が出ています。
-風評被害、カキの出荷激減 ノロウイルス流行(2006/12/20,神戸新聞)
-ノロウイルスで風評被害、カキの出荷見送り(2006/12/21,四国新聞)

風評被害というからには,根拠のない噂ということでしょうが,こればかりは可哀相ですが風評とはいえないと思います。一般消費者としては,牡蠣は相当に感染リスクの高い食材だからです。

何個に1個の牡蠣がウイルス陽性のいわゆる「アタリ」(というかハズレ)なのかについては目下の関心事だと思うのですが,それこそ風評被害を気にしてかなかなかこういう情報は報道されません。

私は2年ほど前には,国立感染症研究所のデータを引用した記事を書きました。その後,さらに研究は進み,2005年に出された最新の報告でもほぼ同じような結果でした。ここから引用すると,852パックの牡蠣のうちNV陽性の牡蠣は84個。つまり10パックに1つが大アタリなのですね。

要はこれだけの危険食材であるとの認識をもって,出荷者も調理者も取り扱うべきです。すなわち,安全な食材であるとアピール,ウイルスの除去処理,安全な調理方法の普及などに努めなくてはいけないと思います。たとえば定期的に抜き取りチェックしての品質管理は有効でしょうし,前の記事で書いた新しい消毒技術の導入も有効な手段になるかもしれません。安全な調理方法をパッケージに印刷するなどの努力も今後は必要になってくるでしょう。それが食品を取り扱う以上の義務かと思いますし,社会はそれを要求しています。

厚生労働省とか自治体が「牡蠣業者の風評被害対策に経済支援に乗り出す」などと何も考えていない展開にだけはならないで欲しいですね。公的な組織がやるべきなのは地域の汚染状況などを検査して公表することと思います。公益確保という視点で考えるべきでしょう。

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Dec 17, 2006

ヒト腎臓再生:ラット体内で成功 世界初、幹細胞から

ひさしぶりに再生医療のトピックを拾ってみます。

ヒト腎臓再生:ラット体内で成功 世界初、幹細胞から

東京慈恵会医科大と自治医大の研究チームが、ラットの胎児の体内にヒトの骨髄液由来の幹細胞を埋め込み、ヒトの腎臓の一部(糸球体と尿細管)を作ることに世界で初めて成功した。その組織を別のラットの腹部に移植したところ、移植を受けたラットの血管が入り込み、通常のラットの腎臓の10分の1の大きさまで成長した。重い腎臓病に苦しむ患者が多い中、患者自身の細胞を使って人工的に腎臓を再生し、移植後も機能させる可能性につながる成果として注目される。(毎日新聞 2006年12月10日)

サイエンスとしては非常に面白いですし,将来性のある研究でしょう。ですが,記事にあるような医療応用としては,残念ながら期待どころかブレーキがかかりかねない研究といえます。

造血幹細胞の増幅や,ES細胞の未分化維持にマウスのフィーダー細胞を用いるだけでも,「異種移植」扱いとなって,培養した細胞は臨床応用できません。ましてやラット体内で育てた細胞となればなおさら慎重になる必要があります。

ヒトへ応用するには,やはり異種動物由来の細胞を使用しないことが最低限必要です。したがって,この技術が医療として陽の目を見るには,ヒトの体内で,組織を作り上げることができないといけません。

もとの論文に書いてあるように,彼らの研究の目的は,ドナー不足解消のために,自家移植,すなわち移植を望む本人の骨髄から採取した幹細胞を,腎臓組織に作り上げ,本人に戻すというものです。ですので,腎臓組織に必要な再構築は患者本人になります。そうでなければ代理母どころか,培養容器となるべき第一のレシピエントが必要となり,倫理的に重大な問題が発生するでしょう。

このアプローチでは(1)患者から骨髄採取→(2)腹膜下に移植→(3)出来上がった組織を腎臓へ移植,の3ステップが必要となります。

間葉系幹細胞は,その未分化性ゆえ癌化も心配されていますし,目的の組織以外の組織へ分化を制御させることもなかなか難しいですので,ステップ2での安全性を担保するのはなかなか大変といえます。したがって,この方法が腎臓移植に替わる医療となりうるのかといわれれば,残念ながら5年10年で可能とはやはり思えません。

とはいうものの,最初に書いたように,発生のメカニズム解析という部分では非常に面白いですし,発生研究のブレイクスルーになるかもしれません。

私の実感から言っても,組織の再構築は生体内でおこなう以上に効率よい場はありませんし,似たアイデアで再生できる他の組織もあるようです。大網に移植して,腎組織近くでは似た組織が再生するなら,なんらかの遠隔性に作用する液性因子の影響が考えられますので,そのあたりを切り口にして解析すれば,体外での3次元での組織構築という,再生医学者が現在夢にまでみる技術へ近づけるでしょう。移植したドナー細胞と,発生の場となるレシピエント細胞の間の細胞間相互作用も興味あるところです。実験結果からは,ヒトとラットの発生の間にはかなりの共通の因子も考えられそうです。

以下余談。医療技術として可能である,とかわざわざ喧伝しなくても,基礎として,いい研究なのは間違いないのですから,地道にすすめてほしいものです。神経再生の話なんかも5,6年前の総説を見ると,「2~3年で幹細胞を用いてヒトへ臨床応用可能」とか言っていました。現状では,まだ移植に足りるほど満足に分化誘導できません。そんな話はいくらでもあります。競争資金の獲得に,研究のPRが必要なのも理解していますが,あまり狼少年みたいにできないことを大げさに言っていては,再生医療全体がコケちゃうのではないでしょうか。
・・・え,もうコケてる!?つるかめつるかめ。

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Dec 05, 2006

【小説】オクシタニア/佐藤賢一

中世ヨーロッパをテーマにする本はほとんど縁がないのですが,以前読んだカルチェ・ラタンが面白かったのを思い出して,ふたたび佐藤賢一の本を手にとってみました。

読んでみて今回も,さすがと思いました。どこまでが真実でどこまでがフィクションか,よくできたSFやファンタジーはその境目をあいまいにして,読み手をすんなり書き手の世界に引きずり込んでいきます。同じように,本書もカルチェ・ラタンも,史実とフィクションを織り交ぜ,いつのまにか中世ヨーロッパの世界にどっぷりと引き込んでいってくれます。

物語はアルビジョワ十字軍の発端から終わりまでを,異端カタリ派と正統カトリック,宗教と政治,男と女,支配する側とされる側,北フランスと南フランス,それぞれの立場に属する4名の登場人物の目から描きます。登場人物の二人は歴史上の有名人物,もう二人は作者のフィクションですが,彼らが戦争の時代を生き抜いていくさまをじつにリアルに描いている点がこの本のひとつの読みどころと思います。つまり歴史の知識だと「1229年 フランス王ルイ9世,南フランス制圧」みたいに一行で終わるところが,その裏に,何人何万人もの人々の考えや行動や感情が実際はあったのだということを,個人の目から語られることで実感がわいてくる,それが心に響くのです。

といっても話のはじめからエピローグまでみると,実に50年以上にわたる混迷をきわめた戦乱の時代を描いていて,また視点が変わるごとに数年~10数年時代がジャンプしていくので,その歴史を追うだけでもかなり疲れます。おまけに南フランスの,それこそトゥールーズという物語の主要な舞台となる都市さえ知らなかった私には,どこそこの軍勢がどの都市を制圧したとか,地名を追うのも大変,なんとか伯の娘がなんとか伯の弟と結婚してどうのとか,誰それ候はなんとか伯の義理の父の関係にあるとか,人物相関を追うのも大変と,非常に頭を使う小説です。

それでも最後まで読ませるのは相当のテンポと文章があるからです。南フランスの言葉はよく知りませんが,オック語といって相当言葉が違うようです。本書ではオック語を大阪弁で置き換えています。これが実にいい味を出しているのです。

なじみの少ないヨーロッパ世界が,南フランスのトロサ,すなわちトゥールーズの住人の口から「トロサは雅の都や,無粋な北とはちゃうで」みたいなことをいわれると,ははあなるほど上方と江戸の関係ね,とよく状況をわかっていない日本人の私にも納得して読み進むことができるわけです。トロサを大阪的な商人と自由のプラグマティックな街とデフォルメするからこそ,すんなり頭に入ってくるのです。

物語は結局のところ,トロサの異端審問官と異端カタリ派の純愛なのですが,これがその設定ほど突拍子に思えないのは,フィナーレに至るまでにオック語,もとい大阪弁で十分に脳みそがふやけさせられているので,やはり上方の曽根崎心中かという気分になってバカっぽさを感じないためといえるのではないでしょうか。となるとラストもある程度は予想がつきますが,そのカタストロフィックな展開のなかに,美しさがあり,泣ける話になっているのはやはりお約束な展開だからといえるでしょう。話が戻りますが,そうしたデフォルメを凝らす大阪弁のノリが,じつはこの作品の真の魅力かもしれません。

#あ,まったくの余談ですがこの本,上下巻の表紙似すぎです(左右対称ですが)。おかげで間違えて上巻を2冊も買ってしまいましたよ・・・(涙)。

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